ちょっと経済談義を私のあゆみ
本文へジャンプ  


 Bookreview

書評:中本悟・宮崎礼二編著『現代アメリカ経済分析――理念・歴史・政策――』(日本評論社、2013年) 

【系譜・主題と「バブル経済循環」の提起】

 本書は、「アメリカ経済研究会」所属のメンバー12名による共同研究の所産である。2005年に刊行された『現代アメリカ経済―アメリカン・グローバリゼーションの構造』(萩原伸次郎・中本悟編著 (日本評論社)の発展的な続編とみてよかろう。
 前書では、1990年代米国の「ニューエコノミー」を実現させた諸要因と2001年のITバブル崩壊に至った経緯が詳しく分析された。その成果を踏まえつつ、本書の場合には、全体として21世紀の実態究明に比重が寄せられている。と同時に、ITバブルの顛末やそれに次ぐ住宅バブルの生起と破裂、さらにその後のゼロ金利・量的緩和策による景気維持を念頭に置いて、「バブル経済循環」の概念提起がなされている。
 また、元来バブルが付き物ではなかった戦後米国の成長パターンなのにバブル循環型に変質したのは、社会理念の転換とそれに伴う経済制度・政策の展開が影響したからだ、との認識も明確にされている。「理念・歴史・政策」の副題が付されたゆえんである。
【書物の構成の概要】
壮大な副題が示唆するとおり、本書の検討対象は非常に幅広い。紙数の都合上、おおまかに編別構成を記すだけにとどめよう。
「アメリカ建国の理念と資本主義の発展」と題した第1部の2つの章で、米国経済の発展と相まった建国理念からの乖離および政策思想の変遷が論じられる。第U部「産業と労働のダイナミズムと社会保障」は、産業構造の再編、科学技術・教育政策、社会保障制度を扱う3章から成る。第V部「財政・金融・バブル経済」では、オバマ財政の特質、金融規制緩和とリーマンショック、低所得コニュニティ開発と金融、アンバンクトの増大とその金融行動が章別に考察される。そして、第W部「グローバル経済のなかのアメリカ」の3章において、多極化の中での通商政策、対ラテンアメリカFTA戦略、グローバル資金循環とドル体制の行方が論じられた後、締めくくりの終章「戦後日米経済関係」となる。
 なお、各章末に短いコラムが載っている。目の付け所や筆運びに書き手の個性が鮮明に現れており、本文とは別な味わい深さがある。

【「もう一つのアメリカ」と将来展望】

 本書は米国経済全般にわたって近年の動向と実情を具体的に描き出した好著だが、評者が類書のない斬新さを感じたのが「もう一つのアメリカ」への目配りである。
たとえば、福祉国家の暗部であった低所得コミュニティーの開発にあたる法人への財政・金融的支援の問題が、真正面から取り上げられている。銀行口座を保有しないアンバンクトの急増と周縁的銀行業の広がりにも、しっかり分析の光が投じられている。
 暗部とは別だけれど、日本の米国経済研究では疎かにされがちな部分の照射という意味で、プロテスタンティズムの定着と慈善事業への旺盛な寄附行為に対する論及も、「もう一つのアメリカ」の検証例と受け取れる。ただし、グローバル化の中で建国理念(プロテスタンティズムはその主柱の一つ)からの乖離が進行し、今や理念国家アメリカの解体も間近だとされているだけに、宗教精神と慈善の将来像が不鮮明である感を否めない。
 理念国家終焉の展望は、米国経済がますます金融だけを頼みの綱にするようになるとの予測と裏表の関係で説かれている。製造業の不振や「財政の崖」を背景とした金融政策への依存の強まりは、資産価格の高騰を誘発せずにはおかないものだ、と解されているところでは、「バブル経済循環」からの脱出不能性が暗示されたに等しい。ほかにも、バブル誘発型政策への傾斜を歯止めすることの至難さを指摘した箇所が、幾つも見当たる。かかる見地の適否や有効なバブル回避策の案出なども含めて、本書を足場に活発な議論が巻き起こってほしいと、評者は期待してやまない。


(本稿は『世界経済評論』Vol.58,No.2、2014年3・4月号に掲載された)
                   
               ▲ このページのトップへ

 Bookreview
書評:坂出健『イギリス航空機産業と「帝国の終焉」――軍事産業基盤と英米生産連携――』(有斐閣、2010年)
 本書は、第二次大戦終盤から1960年代にかけての約30年間におけるイギリス航空機産業の歩みを検証した、産業史研究の領域に属する労作である。民間機と軍用機の双方を視界におさめながら、航空機産業の分野でイギリスが国際市場支配をめぐって急速に力を増すアメリカ相手に生き残りを賭けて対抗した過程に焦点を合わせ、企業レベルでの競争と協調の視角から興味深い史実の探求と分析に努めている。
 同時期のイギリス航空機産業に関しては、ヘイワードや大河内暁男などの優れた研究が存在するが、それらが基本的に主要企業の経営史的分析であるのに対し、本書の場合には筆者の関心にもとづいて国際関係史的考察に主眼がおかれている。依拠している史料は、著者自身が英米両国の国立公文書館などを訪ね時間をかけて発掘した文書類であり、そこに一次資料のあくなき渉猟という歴史家の魂をみる思いがする。こうした意味で過去に類書のないアカデミックな書籍だと言ってよかろう。
 国際関係史的なアプローチに関して述べると、著者は、第二次大戦後の世界では航空機産業が覇権を支える基幹産業・軍事産業基盤の核心的要素になっているとの認識に立っている。だとすれば、航空機産業の分析に取り組むなら、その道は間違いなく、「20世紀的世界」(米ソ冷戦の展開と終結、米国覇権の確立等が主特徴)の一大転換点をなすイギリス帝国の終焉や、それと密接に関連した米英間の覇権移行の解明に通じていることになる。そうした相関の具体的な検証をメインテーマに掲げたものこそ本書にほかならない。
 イギリス航空産業30年史は、3部に分けて綴られている。第T部(「帝国再建期」:1943〜56年)では、大戦中に作られたブラバゾン計画に沿って戦後イギリスは航空機生産における対米競争力の保持に努めたが、そこには米国MSA援助への依存という脆弱性が宿っていたこと(第1章)、朝鮮戦争以降のジェット化を背景にアメリカ航空機産業の市場支配力が強まり、イギリスの機体部門の弱体化と相まって米国機体部門・英国エンジン部門間の生産提携が始まった経緯(第2章)が明らかにされる。
 MSA援助の停止とともに表面化したイギリス航空機産業の困難は、56年のスエズ危機と翌年のスプートニク・ショックによって深刻の度を増した。第U部(「スエズ危機後の帝国再編策」:1957〜65年)では、その事情および打開策としてイギリス政府が打ち出した航空機産業合理化政策の展開(第3章)、60年代初頭に経営危機に陥った英国営航空会社BOACによる米国機採用の開始(第4章)、65年のイギリスによる主力軍用機開発の中止と代替機の共同開発をめぐる英米政府間交渉の方向性(第5章)、が検討される。
 イギリスが航空機の国際共同開発を進めるにあたっては、アメリカと組むか、欧州共同開発への参画かの選択が問題になった。第V部(「帝国からの撤退期」:1966〜71年)は、軍用機の英独伊共同開発にいたった過程とイギリスの新技術取得(第6章)、ワイドボディ旅客機の共同開発路線をめぐるイギリスの立場と英米生産連携の選択(第7章)、生産連携でエンジン部門を担った英ロウルズロイス社の経営危機とアメリカの国家財政の保証による再建(第8章)、を詳しく論述している。
 学術的な価値に富む史的考察である。ただ、英米政府の閣僚たち、企業経営者、労組等が立ち代り登場する中で、絶え間ない利害の衝突・調整を介してイギリスの政策運営がなされる過程などは、様々な発言や出来事が矢継ぎ早に示されて錯綜する関係で、時に道筋と現在地が見えにくくなる感もある。そこで読者諸氏に、著者自身もそれに学んだ島恭彦『軍事費』(岩波新書、1966年)の視座を、常に意識されるように望みたい。(1)戦略に即して軍事技術や軍事費が決まる一方、軍事費や軍事技術が戦略を規定する場面も少なくない、(2)軍事技術開発には民需生産領域への波及効果を当てにする産業上・経済政策上の思惑が働きやすい、(3)戦略、軍事技術・軍事生産、軍事費等は、どれも米国中心の国際的関連の中に織り込まれている――これらの点を踏まえて各登場者の立ち位置を推し量るようにすれば、入り組んだ道程の理解がよりスムーズに進むのでは、と思う。
 後回しになったが、序章で著者は通説3種への疑問を提示している。本論の構成と終章での結論づけから知られるように、彼の考えはこうである。(1)英米の覇権交替の画期は第二次大戦期ではなくて、65年にイギリスが主力軍用機開発を断念した時だった。(2)イギリスは欧州統合の船に乗り遅れたわけではなく、ワイドボディ旅客機開発に際して英米生産連携を選択したのには経済合理性があった。(3)帝国の終焉とともにイギリスは帝国からヨーロッパにシフトしたのではない。米国主導のグローバル市場の分け前にあずかるのを第一義としつつ、他方で欧州共同の可能性も代替策として確保する方向を目指したのだ。
 右の主張は「軍事産業基盤の分析からすれば」と断った上でなされており、その限りで相当の説得性を有している。しかし、帝国の盛衰や覇権の移行は、軍事力、製造能力だけでなく金融的支配力も含む経済力、国際レジームの形成能力、さらには文化的影響力など多様な要素を総合的に勘案して語られるのが通常であり、航空機産業の製造能力面からの通説批判(とくに(1))の実効性には疑問符が付きもする。著者の頭にある覇権の構造図とその中に占める軍事産業基盤のポジションを知りたいものである。
 なお、著者の研究の原点は日米FSX摩擦だとか。「おわりに」が親近感を運ぶ。
         (本稿は『経済』2011年2月号に掲載された)
                   
               ▲ このページのトップへ


 Bookreview

書評:河音琢郎・藤木剛康編著『G・W・ブッシュ政権の経済政策――アメリカ保守主義の理念と現実』(ミネルヴァ書房、2008年)

 11月(2008年)の米大統領選挙では、民主党のオバマ氏が圧勝をおさめた。米議会選でも上下両院とも民主党が過半数を制する結果となったが、間もなく門出する新政権は、その好条件に支えられながら、どのような政策を立案し遂行することになるのだろうか。米国発の世界金融危機の世界恐慌への発展が憂慮される時だけに、とりわけ経済政策面でいかなる「チェンジ」がはかられるのか、いま米国民だけでなく国際社会全体が政権移行作業の進展を固唾を呑んで見守っている。
 そうしたところで的確な状況判断に役立ってくれそうなのが、実にタイムリーに公刊された本書である。まず書物の構成を紹介すると、序章(河音琢郎)で分析視角が示された後、国内経済を政策(第1部)と対外経済政策(第2部)に分けて、個別の政策領域の考察がおこなわれている。第1部は租税・財政政策(河音琢郎)、産業政策(山懸宏之)、社会政策(吉田健三)から、第2部は対外金融政策(菅原歩)、通商政策(藤木剛康)、援助政策(河崎信樹)から成る。加えて、全体を総括し新政権への展望にもふれた終章(藤木剛康)が置かれている。
 言うまでもなく、ブッシュ時代にとられた経済政策の効果を包摂した米国経済の現況が、オバマ次期政権の経済政策にとっての歴史的前提となる。ブッシュ政権のレイムダック化が異常に早かったために期間満了を待たなくてもほぼ完璧に棚卸しをやれる、といった「幸運」も手伝ったが、本書は類書をしのぐ包括的で丹念な検討作業を通じて、オバマ政権の出発点の地形を確定するのに大きく寄与する労作となっている。
 包括的と評したのは、ブッシュ経済政策を論じた書物の大半がブッシュ減税やオーナーシップ社会構想などの特定事象を扱っているのとは違って、経済政策の全域に探索の光が投じられているからにほかならない。だが、それだけではない。個々の経済政策領域の考察にさいしては、ブッシュ政権が安全保障最重視の姿勢を貫いてきた事実にかんがみて、安全保障政策との相互関係にも意識的に目配りがなされている。また、政治学界の研究動向に学んで、保守派の政治戦略という角度からブッシュ経済政策の意義を問う努力も随所で払われている。さらに、社会政策も射程内に入っており、時に社会学流の調査手法が駆使されるということもある。そうした切り口の多様性も含めて「包括的」なのであって、その点を本書の優れた特徴とみなすのが適当だろう。
 方法に関して言えば、政策形成過程の構造分析が目立った特徴になっている。経済政策のあり方や効果は客観的な経済情勢だけでなく政策形成のプロセスによっても規定されるのに、現実の経済政策分析ではおろそかにされがちだ、との認識がその背後にある。オーナーシップ社会構想に象徴されるブッシュ政権の雄大な政策理念とその具体化の乏しさとのギャップ、そしてそれに政権・議会間の綱引きが深く関わっていたという事情を思い浮かべるだけでも、確かにそうだとうなずける認識である。この意味で、あるべき分析方法のストレートな提示として受けとめたい。
 個々の経済政策領域における政策プロセスの相違が具体的に検証されている点も、評価に値しよう。ただ評者は、国内政策と対外政策の区分を硬直的に考えすぎると弊害も起こりうるのではとの感じも受けた。たとえば、財政政策を政権・議会が厳しく渡り合う国内経済政策の主戦場ととらえる場合には、金融市場を通じた財政赤字ファイナンス面での対外依存の進展とそれに対応する国債管理のあり方などには視線が届きにくくなる。また、経済情勢の変化が政治過程を介さずに政策を変化させる領域の代表格として対外金融政策を取り扱うときには、国内での立法行為を伴った金融自由化との関連が死角に隠れてしまう。こうした思いを抱いたということである。
 それはともかく、地道な研究会の積み重ねから生まれたアカデミックな成果だけに、全体として歩調のそろった共同研究の名にふさわしい書物になっていると言える。と同時に、どの章にも各執筆者の個性と結びついたきらりと光るものが認められる。周到に計算された網羅性(河音)、自前の現地調査に依拠した洞察(山縣)、米国留学者としての生活実感(吉田)、統計資料の独創的な解読(菅原)、徹底的な理詰めの勝負(藤木)、実に手際の良い整理(河崎)――勝手なレッテル貼りをと執筆者に叱られるかもしれないが、印象深い味わいがある。
 最後にもう一点。本書は、経済政策の歴史的な連続性と断絶・革新にも強い関心を払っている。ちなみに、終章では、経済政策を政策理念、政治戦略、政策手段の三次元で解析・評価して連続・断絶の判断に役立てるといった分析枠組みが提示されている。それに基づいてブッシュ経済政策の次期政権に対する影響の示唆もなされているが、ただし現実的な制約からして当然なことに、軽い推量の域を出ない。社会政策の章に、レーガン政権以来の新自由主義政策の極致ともみられるブッシュ政権のオーナーシップ社会構想について、一般的には挫折したものと認識されているが実質的に命脈を保っており、今後とも米国社会のオーナーシップ社会化が進むことになるだろう、といった趣旨の叙述がみられる。しかし、必ずしもそれが共通の理解になっているわけではなさそうで、オバマ政権による経済政策の積極的な変革を予想しているかに受け取れる声が他の章に聞かれもする。本書の執筆陣がさらに共同研究を深め、新政権の方向性が明確になり次第、いち早く『オバマ政権の経済政策』を世に送り出していただくことを心から期待している。
         (本稿は『経済』2009年3月号に掲載された)

                       ▲ このページのトップへ